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2017.09.27更新

 バロック音楽の大作曲家ヘンデルは食欲旺盛、ビール・珈琲がぶ飲み、タバコも吸い過ぎるという不摂生・不健康のため、35歳の時には相当に肥満していたようです。
 それでも何とか生き延びて、56歳の時、名作「メサイヤ」を第一部「予言とキリスト降誕」を1週間、
第2部「受難」を9日間、第3部「復活」を6日間、最後のオーケストレーションに2日間、トータルわずか24日間で大曲を作曲してしまいました。
 その間、ご飯も食べずに珈琲をがぶ飲みして、と見てきたかのようなことを言いますが、その作曲中にボーイが珈琲を持っていくと、ヘンデルは前の日の夕食に手も付けず「天井の一角をじっと見つめ」その眼からは大粒の涙があふれていたと言います。 天才に神が降臨した(おおげさかな)瞬間です。
 ヘンデルの演奏会の予告ポスターに「チケットはバストン・コーヒー店またはトム・コーヒー店で売ってます」とありますから、その好事かぶりが知れます。今回はお酒の話ではありませんでした。

投稿者: 税理士法人SETACS

2017.09.26更新

 飲み屋で数人の後輩に全額おごるときなど「清水の舞台から飛び下りる」と決死の思いをします。
 人口に膾炙する言葉ですが、果たして、本当に清水寺のテラスから飛び下りた人はいるのか? 高さ14mといいますからビルで言うと4階から飛び下りるようなものです。
 そこで、「江戸諸国四十七景」を読むと、「清水寺成就院日記」という書が残されていて、その書によると、江戸時代の1694年から1864年の間に、実際に飛び下りた人は234人もいるそうです。
 そしてなんとその生存率は85.4%、なぜならば(?)その飛び下りる理由は自殺ではなく、清水の観音様に「願をかけて」飛び下りて、命が助かると、願いが叶うという信仰があったそうです。
 彼らは命を懸けてまで何を願うのか、病気平癒、恋人出現、「後輩におごらなくていいように」、「私の顔からシワがなくなりますように」、「髪の毛が1本でも増えますように」「お腹の肉がズボンの上に乗らないように」「下半身よ永遠なれ」などあるでしょうが、実際に飛び下りた人へのインタビューというか尋問では「若気の至り」と答えた人もいるようです。
 しかしこの「飛び下り」も1872年(明治5年)に京都府により「禁止令」が出て、この願掛け風習もなくなり、その後は普通(?)に願をかけることもなく別の理由で飛び下りているかと思われます。
 それにしても、この生存率の高さ! さぞかし体力に自信がある人が飛び下りたのだなあと思います。

投稿者: 税理士法人SETACS

2017.09.11更新

 最近、韓国歴史ドラマにハマリ、トンイ、広開土大王、階伯、大風水などなど、ついでに中国歴史ドラマの水滸伝、大秦帝国、明の朱元璋などを月々定額料金のU-NEXTからiPadにダウンロードして、電車での移動の際などに観ています。ちょっと興味があると、その当時の歴史の本で知識を補完しながらなのでなかなか進みませんが、楽しく大人の勉強をしています。
 そんな中、観ていて気が付くことは、どの国にも「奴隷」がいるな!ということです。
 敵国と戦って、戦勝国は敗戦国の男女を自国に連れ去り、戦闘船の漕ぎ手や建築土木、女子だと王宮の下働きなどに使い、韓国などは、新羅、高句麗、百済などが内戦で戦い、同国の人たちを奴隷として重労働、低カロリー、ゼロ収入の職(?)につかせ、死ぬまでこき使っています。
 彼らは言います、「私のような奴婢には、そのようなことは考えもできません」と。彼らが奴婢から這い上がるには相当な手柄を立てて「免賤」されて、奴婢証を焼いてもらうしかないのです。
 そして思うのは、日本には「奴隷」がいないな、いや待てよ「宦官」もいないな!ということです。
 世界を見回しても「奴隷」は各国に存在し、その国の3Kの仕事は彼らに押し付けられていました。  
 王様の女に手を出さないように「宦官」にされた人たちも日本にはいません。
 なぜ日本には「奴隷」制度が根付かなかったのか、そもそも優しい民なので、人を狩って捕まえて働かせなることができなかったのか、そこで関連の本を読んでみると。
 どうやら日本では古代から「分業」制度が発達していて、民がみんな仕事を持ち働いているので、特に「奴隷」が必要なかったのではないか、その証拠に当時の中国や秀吉の戦争で朝鮮半島から連れてこられた民は日本で「奴隷」になることはなく、大工、陶工などの仕事=分業を与えられ、家も持てたし、家庭も築き、今もその子孫は日本列島に営々と生を営んでいるのです。面白い国「日本」なのです。

投稿者: 税理士法人SETACS

2017.09.04更新

 イスラム教の高僧が眠気を覚ますために西暦900年に愛飲し始めたコーヒーは1600年ころまではイスラム教徒だけの飲み物だったそうです。
 アフリカのエチオピアで自生していたコーヒーの木が、オスマントルコの東西への侵攻により、アラビアのイエメンに移植されました。その頃の飲み方は当然「トルココーヒー」で、そのコーヒーがアラビアのモカ港からキリスト教の国であるイタリアのベニスに輸入されたのが1615年です。
 当時、「茶房」(タバン)と呼ばれたカフェは、売春の斡旋所だったり知識人の集まりだったりと役割を変えてきました。大人の世界だったのですね。
 久々に入ったカフェで珈琲の遥かなる歴史とケニアAAの酸味を堪能しているところです。

投稿者: 税理士法人SETACS

2017.09.01更新

 好きな映画を3つ挙げてみよ、と言われると「ショーシャンクの空」「シャイン」そしてこの「ディアハンター」ですと、3回指を折ります。
 「日本アカデミー賞協会の顧問のくせに日本映画はないのか」と言われると三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)をせざるをえないのですが、ディアハンターはインパクトが強い映画でした。
 ベトナム戦争に出兵した米国人が、捕虜になり、そして捕虜同士で「ロシアン・ルーレット」をやらされるが、それにハマって帰国後も、わざわざ捕虜になりに行った友人を救おうと若き日のロバート・デニーロがサイゴンの山奥に乗り込むという映画です。青春時代に観たせいか印象が深いのでしょう。
 その監督のマイケル・チミノが亡くなったそうです。
彼は「ディアハンター」でアカデミー賞を受賞した2年後「天国の門」のメガホンを取るも、客は入らず、史上最高額の製作費をかけた映画会社ユナイテッド・アーティスツを倒産させた男です。
 生きるか死ぬか、まさにロシアン・ルーレットのような生き方で、齢を取るにしたがって若返っていくピカピカの肌にはどんな美容液が使われたのだろうかと、疑問を持ちつつも、合掌です。

投稿者: 税理士法人SETACS